香の十得とお香道の歴史
香道の香の十得と歴史
室町時代に一休禅師がお伝えになられた香道の十の心得です。漢文と古文、現代日本語訳です。香道は552年に仏教の中国からの伝来とともに伝わったといわれます。高価で貴重な香木を楽しむ習慣が日本の貴族の間に広まりました。お香のルーツは古代エジプトのミイラの埋葬の時にミルラという香が使われたことに遡ります。インドには香木がたくさんあり、使者を火葬する時に使われ、それが仏教とともに中国に伝わったといわれます。
要するに、遺体の腐敗臭をごまかすために香が使われ出したことが香道のルーツです。
仏教の経典である「長阿含経(じょうあごんきょう)」や「増一阿含経(ぞういつあごんきょう)」には「お釈迦様の説法を聴くときに、場をきれいにして水を撒き、焼香をするように」「像の供養の際に灯明をともして香を焚きなさい」などと書かれています。
日本では595年(推古3年)流木が淡路島に漂着した際に、島民が竈の薪に流木を火にくべたところ、えもいわれぬよい香りがしたためその流木を朝廷に献上したそうです。
754年、鑑真が香の配合を日本に伝えました。
感格鬼神
感(かん)は鬼神(きじん)に格(いた)る。
感覚が鬼神のように研ぎ澄まされ集中できます。
清浄心身
心身を清浄にす。
心身を正常にします。
能除汚穢
よく汚穢(おわい)を除く。
けがれやよごれを除きます。
能覚睡眠
よく睡眠を覚ます/よく睡眠を覚える。
眠気を覚ましてくれます。/眠気を誘います。
(解釈が二通りあります。)
静中成友
静中(せいちゅう)は友と成る
孤独な時に心を癒してくれます。
塵裡愉閑
塵裏には閑をぬすむ。
忙しい時にくつろぎを与えてくれます。
多而不厭
多くして厭わず。
多くあっても邪魔になりません。
寡而為足
寡くして足れりと為す。
少なくとも芳香を放ちます。
久蔵不朽
久しく蔵(たくわ)えて朽ちず。
長期間保存してもいたみません。
常用無障
常に用いて障りなし。
常用しても害はありません。
お香の歴史
正倉院にある蘭奢待(らんじゃたい)は聖武天皇の妃、光明皇后が天皇ゆかりの品を奉納した際に天下一の銘木蘭奢待が熟黄香という名で含まれていました。蘭奢待は権力者たちが(こっそり)少しずつ削って香を嗅いだため、小さくなっていきました。足利義政、織田信長、明治天皇の名が削り取られた箇所とともに記されています。
平安時代に日本が閉ざされた時に国風文化が発展しました。平安中期に仏前で焚く供香、衣類に付ける衣香、室内で焚く空薫物(そらたきもの)の様式が出来上がりました。煉香(ねりこう)が主流でした。宮中では香物合(かおりものあわせ)という遊びや薫衣香(くぬえこう)という習慣がありました。
六種の薫物(たきもの)とは「梅香(ばいか)」「荷葉(かよう)」「菊花(きつか)」「落葉(おちば)」「侍従(じじゅう)」「黒方(くろぼう)」です。春には梅の花のような香り、夏には蓮の花を思わせるような涼やかな香り、秋には菊の花に似た香、冬には木の葉の散るあわれさを思わせる香り、雑にはもののあわれを感じさせる香り、賀には祝い事に使う奥ゆかしい香りという季節と雑と賀に香がわけられました。
香道
香を聞いて繊細な違いを楽しむ香道(こうどう)は鎌倉・室町時代に台頭した武士が香をきわめる道を求めたことから生まれました。香の産地の区別、香炉、炭や灰の使い方、嗅ぎ方まで作法を事細かに決めていったことから香道がはじまりました。香道は三条西隆(さんじょうさねたか)を祖として三条西家に継承された御家流(おいえりゅう)と、志野宗信(しのそうしん)を祖として現在の蜂谷家に受け継がれた志野流が二大流派です。
源氏香といって源氏物語を題材にした組香(くみこう)は、五十二種類の模様(記号)と源氏物語の五十四帖のうち最初と最後の桐壷と夢浮橋を除いた五十二帖の物語をを対応させて香を聞き当てる遊び(ゲーム)です。
いつしか茶道でも茶室を清めるためにお香をまくようになりました。
線香が日本で作られ始めたのは江戸時代中期ごろではないかといわれ、それまでは中国産の線香が使われていたと考えられています。現在は兵庫県が線香の産地です。
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